tobethinker’s diary

日々研鑽

書評 数学に感動する頭をつくる

数学に感動する頭をつくる

数学に感動する頭をつくる (ディスカヴァー携書)

数学に感動する頭をつくる (ディスカヴァー携書)

 

 昔きになっていたものの読んでいなかった本。読んでよかった。

 

数学って書いてありますけど、書かれている内容は数学を勉強する人だけではなく自分の頭をよりシャープにしていこうとする全ての人にとって役立つものだと思います。

 

数学力を構成する要素を挙げていってその伸ばし方を書いているんですが、さすが数学オリンピックのメダリストを多数育てた先生だけあって類書とは内容の質が違います。

 

一つだけ紹介しますと、数学ができない子は、いくつかの解法を検討せずに、最初に思いついた解法で無理やり解こうとする。だいたい解けなくて、発想力がないとなげく。

 

一方、数学が得意な子は、最初に思いついた解法に固執しないで、うまく行かなかったら他の方法を試したり、新しい方法を生み出したりする。また、できるこは自分がどういう手法を使っているのかを意識していて、他にどういう手法があるのかを列挙しろと言えば言える、というようなことが書いてありました。

 

「手法が列挙できる状態を目指すべき」というのは僕も大学受験生の頃に苦労した末たどり着いた認識でしたが、これは数学に限らず何を考えるにしても、あるいは考える以外、例えば感情をコントロールするとか、そういう場面でもそうでしょう。

 

考える、という作業をするときは、問いを立てる、なぜと考える、5w1hフレームワーク、例外を考える、MECE、掛け算で考える、足し算で考える、構造化する、プロセスを考える、身近なものでイメージしてみるなどやり方や意識する点が色々あると思います。

 

上に列挙したようなことは言われてみれば当たり前だと思います。僕もそう思ってよく列挙されているものを流してしまうのですが、そういう列挙されているもの全てをいついかなる時でも、どういう問いに対してでも自分で意識して瞬時に引っ張り出して来れるかと問われるとそうでもなくないですか?

 

よく考えてみると、見たことがある、という段階と、自力で引っ張り出せるという段階って全然違うじゃないですか。

 

知っている英単語の中で、長文の中で意味がわかるっていう単語の数と、自分で喋る時に使える単語の数って相当違うと思うんですが、そういう違いというか。passive vocabularyとactive vocabularyって読んで区別するんだと思うんですが、考えるためのスキルでもpassiveなものとactiveなもの、ありますよね。

 

コンサル就活向けのコラムに載ってる本で紹介されているスキルを読んだ段階は、passive knowledgeを手に入れた最初の段階にすぎなくて、実戦で使えるような状態では当然ないと。

 

だから、こういう本とかで具体例に触れながら練習して実際に使う練習をするか、自分でそういうスキルを使うような問題を日頃から作ってトレーニングするか、で練習を積むしかないんですかね〜 

 

たとえば、コーヒーショップに入ってコーヒーを買う過程を細かくイメージすることで、特定のコーヒーショップを他のコーヒーショップと差別化する方法を考えてみよう、とか。

 

 

ていうか、大学入って一番最初にこういうの教えて欲しかった。もっと早くから意識して練習積んでたらだいぶ違ったはずなのに・・・

 

まあやるしかないか